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わたしと米澤穂信

サルでもわかるユーゴ内戦

 

このページは米澤穂信さんの長編「さよなら妖精]登場するユーゴ紛争について簡単にまとめたページです。

 

1919 サン=ジェルマン条約:オーストリア帝国解体 

⇒セルブ・クロアート・スロヴェーヌ王国 (コミンフォルム(共産党情報局)-後のユーゴスラヴィア王国、セルビア+モンテネグロ+ボスニア+クロア ティア+スロヴェニア)

⇒鉱工業地帯であったためクロアチア、スロヴェニアも併合されたが、中世以降ハンガリーの支配下にあったためカトリック文化を持つ両国が独立運動。

1941 独軍が侵攻。クロアチア独立派は協力。 

⇒ティトー 率いるユーゴ共産党が パルチザン闘争

⇒自力で独軍撃退。

1946 ユーゴスラヴィア連邦共和国

・ ティトー:書記長・終身大統領。

⇒ソ連と対立、コミンフォルム(共産党情報局)除名(1948)

☆非同盟主義:米ソに対抗、中立維持。

☆自主管理社会主義:各工場に経営権 ⇒6つの共和国間の経済格差が拡大。

1980 ティトーの死⇒連邦解体へ。 

・ミロシェヴィッチ:セルビア大統領。

⇒セルビア民族主義による政権維持。 

1991-1900 ユーゴスラヴィア内戦 

① クロアチア、スロヴェニア独立戦争(1991-1995)

②ボスニア内戦

⇒NATO軍空爆

⇒デイトン合意:2つの共和国に分割。

③コソヴォ紛争:アルバニア人独立運動。

⇒NATO軍がセルビア空爆、停戦。

⇒セルビア軍撤退、国連が停戦監視。

 

1990 年代前半のユーゴスラヴィア解体の経緯について 述べなさい。 (00 慶応・経済) 

 

解説

・東欧革命とソ連崩壊の影響→民族主義の台頭

・ミロシェヴィッチ連邦大統領(セルビア民族主義) に反発→スロヴェニアとクロアティア独立

・独立を求めるクロアティア人・ボスニア 人とセルビア人との内戦が勃発(inボスニア)。

・独立を求めるアルバニア系住民がセルビア軍と衝突→NATO 軍介入→ボスニアとコソヴォ占領(inコソヴォ自治州)。

以上の4点が重要

 

その他ユーゴスラビア紛争を描いた作品

小説

島田荘司 『リベルタスの寓話』 

 

映画

サラエボの花(原題: Grbavica、ヤスミラ・ジュバニッチ監督、2007年)

メン・イン・ブラック(バリー・ソネンフェルド監督、1997年)

アンダーグラウンド(エミール・クストリッツァ監督、1995年)

ブコバルに手紙は届かない(ボーロ・ドラシュコビッチ監督、1994年)

戦場のジャーナリスト(エリ・シュラキ監督、2001年)

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