わたしとミステリ
5.法月綸太郎と後期クイーン的問題
法月綸太郎
”悩める作家”
・80年代にデビューした作家で最も重要な作家の一人が法月綸太郎である。
・法月綸太郎は島田荘司の推薦を得てデビュー。新本格作家のひとりとして数えられる。
・法月は悩める作家という異名を持つ。『どんどん橋落ちた』では「リンタローは悩んでいた」という記述があるがそれはこれにかけられている。法月は『二の悲劇』を書いた後、それ以降悩みすぎて10以上も原稿が書けなくなってしまった。何故悩んでいたのかというと後期クイーン的問題といった問題を引き受けてしまったためである。この問題についてはまた後程解説する
『密閉教室』(1988)青春ミステリ
・高校を舞台にした密室殺人を高校生がなぞ解きをするという青春ミステリ。
・教室の椅子と机がすべて消えている不思議な密室の謎に挑戦する。
探偵役:高校生、工藤順也
探偵小説マニア
本名 山田純也
ミステリのアポリア
・探偵役の工藤は探偵小説マニアという設定で、明らかに法月本人(本名:山田純也)を意識した探偵役。自分がいかにして小説家になろうとしたのかを示す法月の自伝的な小説とも取れる。法月はミステリ作家としていかに出発したのかをうかがわせる。
・法月がミステリのアポリアをいかにして引き受けていったのかが非常によくわかる作品。
・後に法月は法月綸太郎という作者と同名の探偵を登場させるが、この作品では法月は登場しな
「後期クイーン的問題」の提唱作
探偵の特権性批判
・この作品はのちに彼が提唱する「後期クイーン的問題」を先取りした作品でもある。
・法月は、「初期クイーン論」というミステリ界に大きなインパクトを与えた論文を発表し、笠井潔が「後期クイーン的問題」と名付けた問題を提唱した。この問題は今でもミステリ界の大きなトピックの一つ。
・ここで問題となるのは、探偵の特権性批判。探偵は本当に謎解きをするのか。どうして読者は探偵の推理が正しいと信じ込んでしまうのか。誰がそれが真実だと証明できるのか。そういったことは理論上不可能であるとゲーデルの定理などを引用しつつ、論理的に証明した。
・この作品でも工藤はミステリマニアの絵にかいたような名探偵を務めている。しかし、登場人物から推理が間違っていることを指摘され、突き放される。
・結局、密室の謎は解かれるが、真犯人はわからないという形で物語は閉じる。
真犯人未決
・この「真犯人未決」という状態も約束事が裏切られている。一応、最終的には3人ほど犯人の候補は出、誰もが犯人でありうる書き方になっている。
・法月はミステリにおける真相とは何ぞやということを物語っている。
・法月のキャラクターは非常に面白く書かれている。実在しそうな高校生を書きつつ、工藤は虚構の人物であることを自覚的にふるまっており、文体も変化させている。こうすることで、探偵の謎解きというものを意図的にパロディ化させている。
青春ミステリ
メタミステリ
・物語の最後に不思議な後書きが付されており、恋人に振られた手紙を引用している。青春ミステリのラインに沿って書かれたメタミステリでもある。
・若手の作家だけあり、文章がこなれておらず読みにくい。要は文章が下手だと批判されることもある。しかし、法月自身は意図的にやったものだと言っており、話し言葉としては不自然なことを語らせていると述べている。
紙の上の探偵役という自覚
・工藤はミステリマニアであるだけでなく、紙の上の探偵役であることを自覚している。この辺りがとてもメタミステリ的な側面である。
・現実世界をほうふつさせるような日常を描きつつ、ミステリというのはフィクションの世界であり、探偵はそれを自覚している。
・探偵とは何ぞや? ということに対して自覚的にふるまい、日常とミステリの二つの世界を生きていると意識しつつ作品が展開していく。
大神 国語教師
・大神という工藤とは対照的なキャラが登場する。殺人現場に駆け付け、密室であったと証言したうちの一人で、工藤は「大神が嘘をついていれば密室ではなかった」と推理する。しかし「紙の上の探偵は、そんな解決には満足しない」と思い別の解決を考えていく。ここもメタミステリ的である。
「僕の言葉遣いが急に改まったことに不審さを抱いたようだ。彼女の表情が曇った」
・同級生のことを「あなた」と呼ぶなど、工藤の高校生だった口調が突然探偵役としての口調に切り替わる。
リアリズムの文法 3D
↕ 混在
ミステリの文法 2D
・この作品が批判される大きな原因の一つは、リアリズムの文法とミステリの文法が混在しているためである。紙の上の二次元的なキャラと現実に即した三次元的なキャラが、意識的に混在している。
・工藤は紙の上の探偵という自覚を持っているが、現実は紙の上のようにはいかないという自覚も持っている。
・安楽椅子探偵気取りの傍観者になってはいけないという自意識を持ち、積極的に事件に介入する。
・工藤は警察の協力を得ながら積極的に情報を集め、名探偵らしさを実践していく。
工藤の推理
・この事件には不思議な点が二つあった。一つは殺された中野の遺書がコピーであったこと。もう一つはが教室の机といすが消えていたこと。工藤はこの謎を非常に論理的に解決する。
・机といすが消えていたのは、犯行現場をごまかすためであった。実際に、犯行は教官室で行われ、この教室に遺体が移された。犯人は、教官室で殺人が起きてはまずいことがあり、教室に移すことを考えた。教官室の床に一日はタイルを張り替えればごまかせるが、教室に遺体を運びこんだところで机やいすに血が付いていないのは不自然だということで、犯人は机といすを撤去したのである。
「机の消失」というトリック
↓
「机自体」が問題
・犯人達は急いで現場を片付けるために教室に死体を移動させた。そこで急ごしらえの密室を作るが、読者は机がなくなったことに注意をそらされてしまい、地の利の問題に目がいかずうまく読者をだます仕掛けになっている。
・梶川という女子高生が密室の第一発見者。教室のドアを開けようとするが、ドアは開かない。その場に教師の大神と女生徒吉沢がやってくる。全員でドアを開けると中野という同級生が死んでおり、梶川は失神してしまう。大神は梶川を保健室へ連れていくように吉沢に命じた。
・密室のトリックは、部屋の中に教員が残っていてドアを手で押さえていたというもの。大神も共犯者であることに間違いはない。「紙の上の探偵は、そんな解決には満足しない」と言っておきながら、結局はそういうミステリだったというオチ。
・しかし、肝心の中野を殺した犯人を当てるところで、工藤は推理を間違えてしまう。
探偵小説
人間不在のジャンル
・大神と工藤は意図的に対照的なキャラとして描かれている。大神はリアリズムの文法を生きる人。国語教師の大神はミステリではなく純文学を読めと教えている。彼は、非常にオーソドックスな「人間の描かれない探偵小説を批判する」立場の人間である。
教員全員が共犯者
・実際は、教員全員が共犯者であった。その背景には日常性を超えた、劇画チックなものがあった。高校の生徒の一人はやくざの息子であり、それがばれると学校の評価に影響する。そのため、その高校生はそれをネタに学校を脅し、学校内にヤクザの息子がいることを公表されるのを恐れた教員は麻薬の隠し場所を教官室に作り、提供していたという荒唐無稽な設定があった。
・中野は何も知らずに太宰治の『人間失格』についての論文を教官室に提出しに行った際、麻薬の隠し場所に気が付いてしまった。秘密がばれそうになった教官が中野を殺害したというのが工藤の推理。しかし、工藤の親友・古畑は工藤の説を否定し、中野、梶川、吉沢の間の三角関係を背景に吉沢が犯人だと仮説を述べた。
三つの真相
1.副担任・八木
2.吉沢
3.梶川
未解決
・1.は工藤による推理。
・2.は古畑による推理である。古畑は、教官室の前に教員がいなかったためそのすきに吉沢は中野を殺した。あとから教員たちが死体を発見するが、ここに死体があると麻薬の隠し場所が露見してしまうため、死体を別な教室へと移し替えたと推理する。そう思った古畑は吉沢を追求していく。
・3.は吉沢による推理。ちなみに、3つの推理にはどれも破綻はない。3つの真相が明らかにされ、結局真犯人は明かされずじまいとなる。
吉沢の工藤批判
「ロジックの遊戯」
「狂言回しの道化」
工藤の弁
「謎解きが終われば本を閉じてしまう無責任な傍観者。それがお前の正体なのだ」
・古畑による推理をもとに吉沢を追い詰めたとき、吉沢は、被害者に関心を示さず、事件だけを追っていく工藤を「ロジックの遊戯」として遊んでいるだけの「狂言回しの道化」だと批判する。
・結局は現実に何もコミットできなかったことを反省した工藤の独白によりこの物語は終わる。ある種の探偵批判を内在させたメタミステリである。
・名探偵とは何なのか、これについて法月はひたすら悩み続けた。探偵の役割の問題を追求したのが『頼子のために』である。
『頼子のために』(1990)
傍観者であるはずの探偵が事件を構成してしまう
・法月の初期の代表作。傍観者としての批判ではなく「傍観者であった探偵が事件に巻き込まれ、事件を構成する」という問題について追及した作品。
・パーツの一部として探偵の推理・行動が事件そのものに影響を与えてしまう。後期クイーン的問題のある種の実験的な作品。
・作品内において、探偵は犯人を見つけ、犯人は自分のやったことにさいなまれ自殺をしようと考えており、探偵は自殺をほう助してしまう。しかし、実際にはその犯人は別な真犯人に操られていた。探偵が真犯人でない人の自殺をほう助してしまうという意味で、探偵が事件を構成してしまうという問題を描いた。
・女子高生の頼子が何者かによって殺害される。頼子の父は復讐のために、その犯人を殺害した。しかし、父は自分のやった行動を悔い自殺しようとするが生き延びてしまった。その時に父は手記を残しており、法月はその手記を読む。一見すると娘の復讐のために殺人を犯したと思われるが、法月はそれに違和を感じ捜査を進める。
・かなり暗いお話。頼子が小さいころ、頼子が道路に飛び出し、それを庇おうとした母が交通事故に巻き込まれ、そのお中には子供が宿っていた。その事故が原因で母親は下半身不随となり寝たきりになってしまう。ここから家族の過去を暴き出していく話となる。
・手記の中では父親は頼子を溺愛していたと書かれてあったが、交通事故の現場は父親も見ていた。もしかしたら憎んでいたのではないかと法月は捉えなおす。
・娘は父の愛情を得るため母の役割を家族の中で演じていく。
オイディプス的物語
探偵=犯人型
・オイディプスとはギリシア神話の登場人物。オイディプスは幼いころに、両親に捨てられる。成人したオイディプスは自分のアイデンティティを探す旅に出ることになる。その旅の途中でオイディプスは王を殺してしまう。王がいなくなり、オイディプスは全王の妻と結婚するが、実は王は自分の父親であった。
・『頼子のために』は、この父殺しの話の娘版のお話。オイディプスもミステリの起源の1つとしてとらえられることがある。オイディプスの話は「探偵=犯人」型として分類される。
親近相姦
フロイト
オイディプス・コンプレックス
無意識
・人間の中には無意識の欲望が渦巻いているとフロイトは提唱する。この時代の人文科学における重要な発見の一つが”無意識”である。
・頼子は母が寝たきりなのをいいことに父を愛し、母をライバル視しているという三角関係の構図。若かりし頃の母を演じるようになり、父を誘惑する。
・父親は一家の不幸の根源でもあり、自分を誘惑したあげく、自分の子供を妊娠した娘に殺意を抱いていた。結局は父親が娘を殺してしまう。
・父は娘を殺したことに反省し、自殺をしようとする。しかし、真犯人は別におり、なんと母親が真犯人であった。母親は寝たきりのまま父を操り、父と娘が相姦することを予測し、2人を操作していた。家族を最も憎んでいたのは母親で、彼女は夫が自分のために死ぬことを望んでいたのである。
論文
「初期クイーン論」
(『現代思想』1995.2)
『複雑な殺人芸術』講談社
・法月は従来型の名探偵を登場させることができなくなり。それを論理的に解決しようとしたのがこの評論。この評論では探偵の危うさを物語っている。
・90年代の日本のミステリのトピックといえば法月が提唱し、笠井が名付けたこの「後期クイーン的問題」に尽きる。のちに笠井潔が後期クイーン的問題と名付け、今でも話題になっている問題である。
・『現代思想』は哲学の専門誌。推理の正しさをそういう風に説明できるかを哲学者や科学者の議論を引用しながら説明している。ゲーデルという数学者の論題をミステリに当てはめた非常に難解な現代思想である。
・「初期クイーン論」については『複雑な殺人芸術』という本にも納められている。かなり難解だが興味のある人はぜひ読んでみてほしい。
・なぜ”初期”クイーン論なのに、”後期”クイーン的問題と名付けられたのか、疑問に思う方もいらっしゃるかもしれないが、それも説明していく。
ゲーデルの不完全性定理
1.いかなる公理体系も、無矛盾である限りその中に決定不可能な命題が残る
2.いかなる公理体系も、事故の無矛盾性をその内部で証明することができない。
・探偵小説における論理性とは何かを突き止めるために、法月はゲーデルの決定不可能性の定理を引用している。ゲーデルは数学者で、数学という厳密な論理性を要求させる学問においても論理性というものには盲点があるということを言った定理。数学のゲーデル問題を探偵小説に当てはめたのが、この論文である。公理体系の正しさをいかに証明するかを試みたのがゲーデルなのである。
エラリー・クイーン
合作ペンネーム
・エラリー・クイーンは、登場する探偵の名前を作者と同名にしている。法月も探偵の名前を法月としているが、それはここからきている。
・エラリー・クイーンはダナイとリーという従弟による合作ペンネーム(ダナイ、リー自体もペンネーム)。バーナビー・ロスという別名義でも執筆するが、のちに統一される。
・エラリー・クイーンの作品は数多くあるが、法月が問題にしたのは初期の作品。創作時期によって作風が異なる。
初期
国名シリーズ
・<国名>シリーズとは、タイトルに国の名前を冠したシリーズ。「初期クイーン論」で法月が言及したのは『ギリシャ棺の謎』や『シャム双生児の謎』など。これらの作品を取り上げ、初期クイーン論を展開している。
“読者への挑戦”
・すべての手掛かりはそろったのでなぞ解きをしてくださいという挑発が「読者への挑戦」。国名シリーズにはこれが入っており、エラリー・クイーンにより読者への挑戦は定着した。問題編と解答編を分けて提示する一種の知的ゲームであり、国名シリーズではこの方法が採用されている。
・法月はなぜ挑戦が必要なのかを問題としている。
『ギリシャ棺の謎』(1932)
“偽の手がかり”問題
真偽の決定不可能性
・『ギリシャ棺の謎』は30年代前後のクイーンの作品の<国名>シリーズの中の一つ。ここでは、ミステリでいうと古典的な読者をミスリードするテクニックである偽の手がかりが使われているが、法月はここに問題を見出した。
・法月が問題にするのは「真実は誰が決めるのか」ということ。探偵が真偽の保証人となることで読者を納得させる。では、探偵はどこにいるのか。ある種の完結されたゲーム区画を作品内とすると、明らかに探偵は作品内に存在する。
・探偵は真偽の決定者となる。しかし、ゲーデルは閉じられた体系の内部において、内部の正しさを現実には証明することができないことを証明している。体系内の正しさを証明するためには、体系外部から証明しなければならない。外側(メタ)から正しさを保証しないといけない。自らが自らの正しさを証明することはできないのだ。
・作品内における「読者への挑戦」は一種のメタメッセージ。「もうこれ以上外部はありませんよ」ということを作者側から保証しているため、探偵は謎解きすることが可能となる。これにより、謎解きは読者だからこそ可能になる。作品内の探偵は、事件の手がかりがこれで打ち止めか否かを判断できないからである。
・では、探偵の正しさは誰によって保障されるのか? 作者しかいない。作者が保証しないと謎解きは不可能になる。このことを法月は言っているのである。
・論理体系をどこで閉じられた体系と認識するかが問題である。例えば、Aが犯人だという手掛かりを発見し、Aという犯人を特定した。しかし、実はAという手掛かりは真犯人のBがAに罪を着せるために残した偽の手がかり。これを探偵は見破り真犯人を突き止めた。めでたしめでたし。しかし、ここで探偵が見つけていないだけで、Cが書いたBに罪を着せるための殺人計画があったらどうなるだろうか? そして、その裏には探偵が手掛かりを見つけていないだけでDがCを催眠術で操っていたのかもしれない。このように、系の内部だけで考えると、どんどん外側へと広がっていってしまい最も外部の系(作者)から体系を打ち止めにする必要がある。
「シャム双生児の謎」(1933)
偽のダイイング・メッセージ
・これも偽の手がかりの一種であるが、ダイイング・メッセージは、書き手がすでに死んでしまっているため、真意を問えないという点でより難しい。そして、死んだ人がどういう意図で書き残したものなのかということは絶対にわからない。
・刑事がある手がかりを誤読するが、実はダイイング・メッセージは操作されていた。それをエラリー・クイーンは操作されていたことを見抜き、正しく推理する。ここに、ダイイング・メッセージの真偽の決定を探偵は本当に保障してくれるのかと法月は問題にしている。
・ダイイング・メッセージは死にかけている最中で書くので、途中で終わっていたりと、操作されていなくてもたいへん解くのが難しい。
・殺された人はトランプを持っており、そのトランプはちぎられていた。しかし、実は別の人物がわざとトランプをちぎり、被害者が捜査をかく乱させるという言うことになる。謎解き自体は可能だが、原理的に考えると、なぜ探偵の推理を無条件で信頼するのかと、法月は問題としている。そのようなミステリもあっていいのではないかとし、法月は、『頼子のため』など探偵が推理を間違える作品を書いていく。探偵の全能性を楽観的には語れないと評した。
笠井潔「後期クイーン的問題」(『探偵小説論Ⅱ』1998・東京創元社)
探偵の推理の誤謬性
・後期クイーン的問題とは法月ではなく、笠井潔が『探偵小説論Ⅱ』という評論で名付けた問題。では、なぜ初期のころのクイーンの作品から法月が見出した問題が”後期”クイーン的問題と言われているのだろうか? 初期があれば、中期と後期の作品もある。以降、これらの作品を見ていく。
中期
バーナビー・ロス
<ドルリー・レーン>シリーズ
『Yの悲劇』
意外な犯人
・中期はエラリー・クイーンはバーナビー・ロスという別名義で作品を書いている。
・<ドルリー・レーン>シリーズは、その名の通り、ドルリー・レーンという探偵の登場するシリーズである。もっとも有名なのは『Yの悲劇』で、犯人は子供であったという衝撃的なミステリ。さらに衝撃的なのは、ドルリー・レーンが犯人に毒を飲ませ殺してしまうという探偵が超法規的な行動をとるという点である。
探偵=神
・この作品において、ドルリー・レーンは法の番人となっており、彼のやることはすべて正しいという神的存在として描かれている。探偵の万能性がいかんなく発揮された作品。
・犯行ノートを祖父が残して死んでいき、子供がその通りに犯行を行う。しかし、子供であるのでノートの文字を読み間違えたりするため、事件はどんどん複雑になっていく。
後期
<ライツヴィル>シリーズ
「九尾の猫」
「十日間の不思議」
苦悩する探偵
・初期の作品ではエラリー・クイーンの推理は完璧なものだったが、後期の作品でクイーンは推理を間違え、別な犯人を名指し、無実の人を殺してしまい、探偵が事件を構成するという作品を書くようになる。
・架空の都市ライツヴィルを舞台にしたシリーズが代表作である。
探偵 vs 犯人
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・今までは犯人と探偵の知恵比べに、最終的には探偵が勝つという構成だった。しかし、この<ライツヴィル>シリーズでは、探偵よりも犯人のほうが賢いことが多々見受けられる。犯人が「クイーンはこういう推理をするだろう」と予測して、偽の手がかりを置き、探偵を操っていく。
・法月は苦悩する探偵像を法月なりに書いたのが『頼子のために』であり、笠井はライツヴィルのシリーズを踏まえて、この問題を”後期クイーン的問題”と名付けたのである。
笠井潔
大量死理論
「大量死と探偵小説」(『模倣における逸脱』1996.彩流社)
西欧における探偵小説黄金期
第一次世界大戦後
・後期クイーン的問題と並ぶ、探偵小説におけるもう一つのトピックが大量死理論である。後期クイーン的問題について述べたついでに、大量死理論についても解説しておく。
・西欧では第一次世界大戦が終わった直後にミステリが大流行した。大戦後というのがポイントとなる。戦争の後遺症というのはいろいろなところに影響を与えた。笠井はミステリは戦後文学としても読めると言う。
日本本格ミステリ
第二次世界大戦後
・日本で本格ミステリが流行ったのは第二次世界大戦後である。日本は第一次世界大戦に参戦したが、戦場にならなかったこともあり、日本に住む人たちは戦争をしているという意識はあまりなかった。そのため、西欧とはミステリがはやるのにタイムラグがあった。民間人も戦争に巻き込まれたのは第二次世界大戦となる。
・なぜ、戦後にミステリが流行るのか? ここに、戦争により市とミステリ内で起こる殺人は非市場に対照的であることに注目する。
死の表象
戦争 匿名死
↕
探偵小説 特権的・個別的死
・戦争において、一人の死というのは死者の数として数えられ、誰かに手厚く葬られるということはなく、固有の死が消されていった。
・それに対して、ミステリは死者をどう殺すかに重点が置かれる。密室で殺したり、複雑なトリックを駆使したりと丁寧に殺される。一人を殺すために頭をひねって葬り、被害者を特別な死者として殺害する。そして、探偵が丁寧に謎を解き、死者の無念を晴らすという孤高の死を描く。
・笠井は死者を丁寧に葬るジャンルとして定着したという。
戦前 変革
・戦前にも江戸川乱歩によりミステリは書かれていた。しかし、これは変革ミステリと呼ばれ、謎解きがメインではなかった。
民主主義の成立
ファシズム国家 イタリア・ドイツ・日本
・大量死を目の当たりにしている中、一人を殺すのに非常に時間をかけて殺し、時間をかけて謎解きするという文学は民主主義という戦後の価値観がないと成立しえない。ファシズムの国であったイタリアやドイツ・日本はミステリ不作の地と言われるのはこのためである。
二十世紀的”人間”像
記号化/断片化された人間を前提
“人間”が描かれない
・ついでに、笠井の評論をもう一つ紹介する
・探偵小説はゲーム性を重視する文学である。リアリズムを廃し、パズルの駒として人間を描く。こういう人ならばこういう行動をとるのだろうという前提を作らなければ謎を解くことが難しくなる。これを乗り越えようとしたのが、松本清張の社会派ミステリ。
・しかし、笠井はこれを二十世紀的”人間”像という。十九世紀的な人間とは違い、記号化した人間のほうが二十世紀的であり、それに対応するのがミステリである。むしろ厚みのない人間こそが今の人間だと主張する。
・笠井はこの意見で純文学のミステリの立ち位置も真逆に反転させた。ミステリの現実性を最大限に評価したのが笠井なのである。
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