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わたしと米澤穂信

Human beings, mercifully, they can forget.

 

このページは米澤穂信さんの短編「遠まわりする雛」に関する僕なりの考えをまとめたものです。どうぞお気軽にお読みください。

 

サブタイトル

 

 副題は「Little birds Can Remember」これはクリスティの『Elephant Can Remember (像は忘れない)』が元ネタです。この『象は忘れない』という作品は名探偵ポワロ作品の中で最後に執筆された作品です(時系列的には『カーテン』が最後の作品)。あらすじとしては、「13年前に起きた心中事件は父親が母親を殺したのか、それとも母親が父親を殺したのか」という問の解を求めるため、記憶力のいい――「像のように」記憶力のいい――人を訪ね、当時の事件を紐解いていくという『五匹の子豚』と同じく、「記憶の中の殺人」ものです。そんな『Elephant Can Remember』ですが、これにもさらに元ネタがあり、それは「An elephant never forgets.」という諺です。これは「記憶力の良い像は、恨みを決して忘れず、必ず報復しにやってくる」という意味です。「never forgets」を「can remember」に変えて「覚えている」ということを強調させるクリスティはさすがですね。

 さて、『象は忘れない』のあらすじを聞いてピンと着た米澤ファンの方もいらっしゃるかと思います。そう、『追想五断章』(2009)です。本来ならば、ストーリーの内容的には『追想五断章』のサブタイトルの方がふさわしいような気もしますが、『愚者のエンドロール』のサブタイトル「Why didn't she ask EBA?」のように、由来となる作品のストーリーとは無関係なサブタイトルをつけるのがお好きなようです。

 

雛は忘れるのか?

 

 そろそろ「遠回りする雛」の方へも踏み込んでいきましょう。もちろん、「little birds」=「千反田」です。これは千反田が雛を演じることと、(像のように)千反田が記憶力が良いことがかけられているのでしょう。しかし、この作品における千反田は「雛」。大きくて、力強い「象」ではなく、あくまでも「雛」なのです。自分の力では大空へと飛び立てない「雛」なのです。単行本版の表紙は大自然を写しているのに空が全く見えないというアイロニカルな表紙。そしてさらにえげつないのが文庫版で、こちらの表紙には皮肉にも大空を映しているのです。なんともえぐい表紙ですね。単行本の方はともかくとして、僕が最初に文庫版の表紙を見たときには愕然としましたよ。「これはあまりにも(良い意味で)ひどすぎるんじゃないか」と。

 それでは、この後千反田はどうなるのか。その問いは短編「今さら翼といわれても」へと引き継がれていくことになります。

 

 『象は忘れない』の中で、最後にポワロはこう言います

 

Human beings, mercifully, they can forget.

――人間は、象じゃない。だから、苦しみを忘れることができるんだ。――(訳:藍川)

 

 では「雛は忘れない」ではどうなのでしょうか。「雛は忘れないけど、人間は忘れる」のです。千反田は住む世界が決まっていること」や「翼で飛び立てないこと」を忘れることができるのです。ただし「忘れることができる」というのと「忘れる」ということは別物です。果たして、千反田はどういう選択をしていくのか。それは彼女にしかわかりません。

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