わたしとミステリ
2.新本格の登場(『占星術殺人事件』、『Yの悲劇』のネタバレあり)
新本格前史
・前回でも述べたが、本格ミステリが脇に追いやられ、松本清張により、探偵小説が得意としてきたトリックや名探偵といった大衆性、娯楽性に対する批判が活発になる。松本はミステリにもリアリズムが必要と主張。謎解きの面白さを加味しつつもリアリズムを重視。推理小説が台頭してくる。
・横溝正史を例外とし、本格ミステリは読まれなくなっていった。
・メディアミックスが始まり、映画が大ヒットする。小説としての本格ミステリは大衆には届かなくなっていく。
『幻影城』(1975~1979)
・一方で探偵小説専門誌も頑張って発行されていた。『幻影城』は発行期間こそ短いものの、ミステリの古典再録や新人発掘などに力を入れていた。編集長の島崎博はのちにミステリ界のビッグネームとなる。
泡坂妻夫、栗本薫、田中芳樹、連城三紀彦を輩出
・『幻影城』では、のちの世に名を残す多くの作家を輩出。登場人物が隕石に当たって死ぬといったミステリにほとんどありえないような偶然性を取り入れた泡坂妻夫(代表作『乱れからくり』)。『ぼくらの時代』で江戸川乱賞を獲得した栗本薫(別名を中島梓)。代表作に『銀河英雄伝説』をもつ田中芳樹。その他連城三紀彦といった新人を生み出した。
竹本健治『匣の中の失楽』(1977.4~1978.2)
アンチ・ミステリ≒メタ・ミステリ
↕引用元の差異
リアリズム
・『幻影城』に連載された作品に竹本健治の『匣の中の失楽』がある。これはのちにアンチ・ミステリと呼ばれる系譜になる。『匣の中の失楽』は『虚無への供物』から影響を受けたアンチ・ミステリの代表作。
・新本格も広い意味ではアンチミステリである。
・アンチミステリとは、ミステリというジャンルに自覚的な従来のミステリ批判のこと。
・メタ・ミステリとは、先行するミステリに対するオマージュ
・この二つは、虚構性が強く、先行するミステリを引用しているのに対し、リアリズムは現実を引用している。ミステリらしさを求めるか現実らしさを求めるかで両者の文学観は相異なるといえる。
別名「ミステリについてのミステリ」「ミステリ創造に関するミステリ」
・アンチ・ミステリは「ミステリについてのミステリ」「ミステリ創造に関するミステリ」とも呼ばれる。
・例えば『匣の中の失楽』では現実で起こっている事件を書くミステリ小説家が現れる。作中作において作中での事件を描く。その後作中作なのか作中なのかの境界があいまいになっていき、読者を意図的に混乱させるミステリである。
・典型はやはり作中作の使用である。作中においてミステリ作家を登場させ、作中作と作品自体を重ね合わせるものが後に多く書かれていくことになる。
島田荘司『占星術殺人事件』(1981)
江戸川乱歩賞落選
・80年代の前半になっても本格ミステリのブームは訪れなかった。
・島田荘司の『占星術殺人事件』はミステリのランキングで必ず上位に来る作品であり、島田荘司のデビュー作であり、探偵・御手洗潔のデビュー作でもある。しかし、この作品も二作目の『斜め屋敷の犯罪』(北海道を舞台にした御手洗潔の本格もの)も三作目の『奇想、点を動かす』(これは御手洗のシリーズではない)も全く売れなかった。ショックを受けた島田は四作目で刑事の登場する社会派を描くことになる。
・江戸川乱歩賞には落選したものの、本作のように落選したものが歴史に名を残すものも多い。中井秀夫『虚無への供物』(未完成だったため最終候補まで残ったが受賞せず)や折原一『盗作のロンド』(自分が書いたミステリが盗まれ、別の人物が原稿を発表するという乱歩賞をネタにしたミステリ)など。
「改訂版完全あとがき」より
「清張呪縛下」
自然主義文学・私小説
ex)田山花袋『布団』
・島田荘司の後書きによると、占星術殺人事件の基本的なアイデアは70年代前半にはあった。ここからは『占星術殺人事件』の改訂版の後書きを追っていく。
・この後書きは松本清張のおかげで本格ミステリが書けなくなっていったという松本清張への恨み節から始まる。(「清張呪縛下」)
・島田からすると松本は日本文学の伝統に連なる自然主義文学の書き手だという。
・近代小説は明治20年代に書かれたリアリズム小説、二葉亭四迷の『浮雲』から始まるといわれる。自然主義文学が生まれたのは明治40年代頃で田山花袋の『蒲団』が代表作。
・『蒲団』は田山の身辺雑記的な私小説。自然主義文学とは作り物を嫌悪し、ありのままを赤裸々に告白したもの。それを文学だとする姿勢であり、作り物めいたものへの批判も込められている。
・作家・竹中時雄のもとに女学生・横山芳子が弟子入りを申し込む。初めは気が進まなかったが、芳子が美人だったので受け入れることにした。表向きは師弟関係だが、徐々に時雄は、芳子に恋心を抱くようになる。しかし、芳子は別の男と駆け落ちをして時雄のもとを去り、時雄は押し入れから芳子の使っていた布団を出し、その匂いを嗅ぎながらめそめそと泣いた。これが『蒲団』のストーリであり。
・島田は田山だけでなく、太宰治も自然主義作家だ主張した。
タブー化
密室トリック、名探偵、複線、超常識的な動機
色金出世のみが動機
・自然主義文学にとっては本格ミステリに登場する様々な要素がタブーであったと島田は述べる。
・密室トリックなど現実には存在しないし、名探偵は「少年探偵団」シリーズに代表されるように子供っぽいものであり、伏線といった作為的なものは嫌われた。超常識的な殺人動機もリアリズムの文法から外れると嫌われ、社会派から見たら動機は色金出世くらいしかないとされる。
・島田の後書きは終始誇張した被害者意識によって書かれていた。
御手洗潔シリーズ1作目
クローズド・サークルもの=ミステリのコード
・具体的に『占星術殺人事件』の中身に入っていく。
・名探偵・御手洗潔のデビュー作であり、この作品の面白い試みであり、大きな特徴でもあるのはクローズド・サークルの利用である。
・クローズド・サークルとは事件が起こる場を狭めた中で事件が起こるというミステリのサブジャンル。
・クローズド・サークルにより(一応)フェアプレイが守られるとする説もある。
・関係者が限定されているため、いつ殺されるのかがわからないという疑心暗鬼とサスペンス的な盛り上がりを付加することができる。
・コード(ガジェット、ギミック)とはミステリをミステリたらしめるある種の要素。
・コードを組み合わせて警察の科学的操作を排除するのにも利用できる。
孤島 ex)アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』
・孤島はクローズド・サークルの典型。閉じ込められた中で事件が発生する。
・『そして誰もいなくなった』ではどんどん登場人物が死んでいき、最後に残った人が犯人かと思ったら全員が死んで、最後に犯人の手記で真相が分かる。
館 ex)エラリー・クイーン『Yの悲劇』
・館ものもクローズド・サークルの代表例。怪しげな館や呪われた館を舞台に連続殺人が起こるのがベタ。
・『Yの悲劇』では旧家を舞台に意外な犯人と犯行動機が明らかになる秀作。綾辻行人も館ものを多く書いている。
時間的クローズド・サークル
・『占星術殺人事件』においては空間を限定しているわけではない(死体は日本各地で発見される)が、クローズド・サークルの要素を非常にうまく組み込んでいる。
・時間を制限するがこの作品の面白さにもなっている。ある時代に設定しないと成立しないミステリ
連続殺人事件 1936.2.26
・事件が起こったのは1936年2月26日。二・二六事件の当日。それを1979年に御手洗潔が解決する。
・物語は梅沢平吉という狂人的な画家の手記から始まる。彼の手記では生きた6人の処女の良い部分だけを切り取って完璧な女性(アゾート)をつくるという妄想にとらわれており、手記の中で狂気的なことを述べていた。
・そして、その梅沢は密室で何者かに殺害される。その後、アゾートを実践するかのように6人の女性が殺され、身体の一部が欠損した遺体が日本各地で発見された。誰かが亡くなった梅沢に代わりアゾートを作ったのか?
狂気の時代
・1936年前後の日本は狂気の時代であり、これは梅沢の思想へのある種の正当化・説明原理として使われたものだと考えられる。
科学的捜査の限界
・雪山で里と連絡が取れなくなったりするなど、クローズド・サークルものの一つのパターンが警察の介入を防ぐというものである。当時の警察は自白中心主義で、証拠もなく犯人をでっちあげることが多かったが、それではミステリにならない。
・死体の同定について科学的な限界を時代で設定するといううまい手法。
“手記”(≒遺書)の引用
・作中作効果を狙い、被害者の著が引用されている。
・中には引用自体がトリックとなるミステリも。
・この作品では2つの手記が登場する。一つ目は、1936年の梅沢の手記。1そして二つ目は、1979年、当時の事件のあらましについての手記。御手洗は事件のことを何も知らない世代であるので、これらの手記が重要となる。
・御手洗は当時占星術の学校の先生であり、作中に占星術の蘊蓄は多く登場する。事件の解決を依頼された御手洗は梅沢の占星術についての考えに興味を持ち、事件を調べ始める。
・この話のトリックは「金田一少年の事件簿」の「異人館村殺人事件」においてパクられDVDにはこの話のみのっていない(第1話なのに)。島田荘司は「この問題は民事訴訟に発展する」と抗議。文庫化された際「この事件のトリックには『占星術殺人事件』のメイントリックを使用しています」という注釈が書かれたほどである。
・多数の死体を組み替えて一人生き残っていたというのがメイントリック。実際に死んだのは五人だった。
首なし死体=犯人
人物誤認トリック
・ミステリで首なし死体が出てきたら人物のすり替えはもはやお約束のようなものである。この作品もそれを忠実に守っている。
・犯人は梅沢の最初の奥さんの娘であり、非常に不遇な人生を歩んできた。梅沢の手記に乗じることで本当の犯行動機を隠蔽しようとした。
・『Yの悲劇』は、ある人が殺人計画を残して死に、それを代行するというストーリーだが、犯人はその家の子供であった。少年はおじいさんの家族への恨みつらみを手記から読み取り犯行に及んだのだが、子供なのでところどころ手記を読み間違えており、それがこの話を面白いものにしている。最後に少年は探偵に殺されてしまう。
・『占星術殺人事件』も犯人と御手洗は不思議な形で心を通わすことになり(犯人は「あなたのような事件の真相を見抜ける人を待っていた」)、最後犯人は自殺する。
・『占星術殺人事件』はネタをばらしてもなお面白い作品であるので、未読の方がいればぜひ読むことを進めたい。
ダイイング・メッセージの真偽
・この事件において、手記はある種のダイイングメッセージでるといえる。
・『占星術殺人事件』において手記は死者の残したものだから真実である、犯人は梅沢の思いを継ぐ狂気的な芸術家だと思い込ませている。
・ダイイングメッセージの誤読、偽のメッセージは本格ミステリにおいてよく用いられる手法である。
・一斉に死体を発見されたらトリックがばれてしまうので、すぐに見つかってほしいものは発見されやすいように置くなど、時間差を置いて発見されるよう工夫がなされている。すべては一人生き延びていることを隠すため。
・犯人は女性で死体を運ぶことができなかった。知らず知らずのうちに手伝わされたのは二つ目の手記の持ち主の刑事である。彼もまた、ある種の被害者であった。
元警察官の手記
・この刑事が協力した理由もまた非常に時代的である。
・刑事はひょんなことから一人の女性と関係を持ってしまったが、後日この女性が殺害される。状況証拠によりこの刑事が犯人にされる可能性もあり、刑事はおびえていたが、そんな刑事のもとに一通の脅迫文が届く。
・手紙は「お前は有能なので殺人事件に巻き込みたくない」という趣旨。犯人は秘密期間を装い、刑事を救うから国の命じる仕事をせよと命令を下し、死体を処理させる。
六つの死体処理
中国人スパイ
・秘密期間を装った犯人は、刑事に「あの女は中国人スパイであり、我々が秘密裏に殺したものだ。お前わ助けるので手伝え」という趣旨の手紙を送り、刑事は非常にまじめなためお国のためならと思い身を粉にして働いた。
・時代状況を巧みに取り入れたやり方である。
読者への挑戦状
<私は読者に挑戦する>
・本格ミステリの約束に従い、当然読者への挑戦状もある。
・読者への挑戦状はもともとエラリー・クイーンが書いたもの。
・とはいえ謎は、首無しにさえ注目すれば案外簡単に解けてしまう。
『占星術殺人事件』における疑問点
・いくら科学的捜査がなかったとしても、もう少し死体を調べればトリックは判明したのではなかろうか。
・痣やつま先の特徴だけで人物を特定するのはいかがだろうか?
・といったように突っ込みどころはいろいろある。
・他にも、五人もの人間をジュースに毒をもって殺害しているが、五人同時に飲まないと不可能であり、一人が飲んだらほかの人はジュースに毒が入っていることに気が付いてしまうので、非常に実現可能性の低い犯行方法である。
『斜め屋敷の犯罪』(1982)
御手洗潔シリーズ②
“館もの”
・次に紹介するのはシリーズ2作目のこの作品。島田は出身は広島だが、北海道を舞台にしたミステリも書いており、その一つがこれである。
・この作品は、館を舞台とした館ものでもある。”館もの”とペアとなるのが”密室殺人”であり、この作品でも御多分に漏れず、この二つが組み合わされている。
参照先
西洋本格ミステリ
・80年代以降の本格ミステリが社会はミステリを批判して出てくるが、島田がお手本とするのが西洋の本格ミステリである。
・特に、島田の場合はポーに回帰するべきだという発想。この島田の作品について述べる前に、まずはポーについて解説する。
エドガー・アラン・ポー
・探偵小説の創始者ともいわれる存在で、世界初のミステリである「モルグ街の殺人」はまさに密室を扱っている。
「モルグ街の殺人」
・探偵小説の創始者といわれるポーだが、実は彼の書いたミステリは少ない。ポーの小説にはデュパンという有名な名探偵が登場するが、デュパンの登場する作品はわずか3作品である。その一つがこの作品であり、他には実際に起きた迷宮入りの事件を脚色してポーなりの解決を与えた「マリーロジェの秘密」、よく引用される有名作「盗まれた手紙」がある。ほかのポーの代表的なミステリとしては、暗号ものの「黄金虫」や、評判は良くないが重要な要素の詰まったドタバタミステリ「お前が犯人だ」がある。この5つの作品が現代にミステリにつながるパターンの源となっている。
密室殺人
・「モルグ街の殺人」真相は犯人は人ではなかったというもの。密室殺人はこの作品から生まれた。
安楽椅子探偵
・「マリーロジェの秘密」は関係資料を集めてそれを基に調べるというミステリ。現場に直接行くのではなく、他人から聞いた情報を基に推理するこの作品はのちに”安楽椅子探偵もの”と呼ばれる作品の源流である。
明白すぎて見えない証拠
・「盗まれた手紙」は日常の謎と呼ばれるミステリの源流となった作品。そして、殺人犯はすでに分かっているという倒叙ものの原点でもある。
・真実は盗まれた手紙は手紙差しのところに置いてあったというもの。大切なものは普通は人目につかないところに隠すという心理を逆手に取ったトリック。
・犯人との心理合戦という対決型の攻勢を生み出し、トリックとしては明白すぎて見えない証拠の大元となった。京極夏彦のデビュー作『姑獲鳥の夏』でもこれは使用されており、密室殺人の死体が消失するというミステリだが、実は死体は目の前に存在していたというものである。
暗号解読
・「黄金虫」は海賊の残した暗号を解読して宝探しをするという作品で、暗号ミステリの元となった作品。
・英語で最も多用されるアルファベットがeであるといった合理的な方法で解読する。
「お前が犯人だ」(1844)
犯人は探偵
語り手
叙述トリック
・「お前が犯人だ」はポーのミステリの中では知名度は低く、ポーの失敗作と呼ばれる作品だが、新本格の源流の一つと呼んでも過言でないくらい重要な作品である。
・一言でまとめると、探偵役の人間が犯人だったという話。実際に殺人を犯したのは別な人物であったが、語り手は探偵が犯人であるとわかっていて、最後に探偵をだますという構成。読者に探偵が犯人であることをうまく隠しつつ最後に驚かせるという語り手が騙すパターンである。作中人物同士の騙し合いではなく、語り手が読者をだますという後の叙述トリックと呼ばれるトリックの元祖である。
・ポーの作品を見ると本格ミステリのエッセンスが見えてくる。ポーは短編をこの5編しか残さず、その後は長編が書かれていくことになる。
1920年代本格ミステリ
・ポーの話をしたので、ついでに西洋前史的な話をする。シャーロックホームズは19世紀末に登場し、このころになるとホームズと和とスンの組み合わせがパターン化する。
・その後、1920年代になると、西洋では第一次世界大戦と同時期にミステリ黄金期を迎え、クリスティ、クイーン、カーといった大物たちが登場することになる。
クロフツ
・アリバイ崩しをはじめとした名作を多く生み出した。
アガサ・クリスティ
・言わずもがな
ヴァン・ダイン
・見立て殺人を扱った『僧正殺人事件』が高い評価を受けている。
エラリー・クイーン
・<国名>シリーズが有名作。二人の作家の合作のペンネームで新本格に大きな影響を与えた。
ジョン・ディクスン・カー
・密室ものを書いたら天下一品と呼ばれるミステリ作家。
・これらの作家のデビューはすべて20年代である。日本のミステリの元ネタとなったエラリー・クイーンの『Yの悲劇』やヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』は館ものと呼ばれるミステリジャンルに大きな影響を与え、綾辻行人などは館ものを多く書いている。
・話を島田に戻す。『斜め屋敷の犯罪』は宗谷岬が舞台の北海道文学で、斜めに傾いている不思議な館で事件が起こる。その館の名前は流氷館。館の主はクリスマスの夜にパーティーを催すが、そこで連続殺人が起こる。
・アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』が踏まえられているクローズド・サークルもの。前作『占星術殺人事件』は時間的クローズド・サークルだったが、今作は空間的クローズド・サークルである。
・前作よりは別な意味でショッキングだが、トリック自体はオーソドックスなもの。古典的な物理トリックだったが、これがあまりにも壮大なものだったので驚きがある。密室と思わせておいて実は密室ではなかったというシンプルなトリックであった。
・犯人は館の主人である人物を殺害するためにわざわざ斜めに傾いた館を作った。ショッキングな物理トリックが描かれるが、冷静に考えるとかなり無理があるのではないか。
代理殺人
・長い年月と莫大なお金を投じて殺人を行う。その動機は一種の代理殺人であった。『Yの悲劇』からの引用だろう、犯人を恨んで死んでいった人の代わりに殺人を行うもので、代理殺人は殺人の動機が非常にわかりにくくなる仕掛けである。
・この代理殺人がこの作品を複雑にしている要因であり、そこまでして殺す必要があるかというギャップや馬鹿々々しさも含めて面白い作品である。
八〇年代
バブル経済
・80年代という時代を考えると、この作品もある程度納得がいく。新本格後半の作品では、人を殺すのになぜそんなに大それた仕掛けをやるのだろうという疑問を持つ作品が多くなるが、これはバブルの雰囲気とマッチする。人間の経済感覚が歪んでいた時代であり、作品も自ずとその経済感覚に合わせて作られたのだろう。
ポスト・モダン
ナンセンス
キャッチコピー
広告産業
・人間は知性を持つ生き物なので、よりよくなっていくというのがモダニズムの考え方である。それを嘲笑うのがポスト・モダン。ポスト・モダンはこれまでに素晴らしいと評されたものをナンセンスと批判していく性格でナンセンスへの関心が高まっていた。この背景としてはやはりバブル経済が挙げられ、安くて良いものは売れない時代であった。商品そのものよりも、商品を宣伝するキャッチコピーやCMが重視され、わけのわからないものが売れる時代で、就職先は電通といった大手広告代理店が花形だった。
・こういったことを踏まえるとこの作品は無意味なものに戯れるのを良しとする時代である80年代ならではの本格ミステリと捉えることができる。
『奇想、天を動かす』(1989)
・島田の作品をもう1作紹介する。これも北海道が舞台のミステリである。島田荘司らしさを遺憾なく発揮したのがこの作品である。
・このころは新本格の作家が次々とデビューしていた。新本格が流行り始め、新人たちに抜かされないよう起死回生の一手で放ったのが本作である。古典的な欧米ミステリを踏まえつつ、島田の個性も発揮した力作。
吉敷竹史シリーズ
本格ミステリ
+
社会派ミステリ
・この作品は御手洗のシリーズではなく、どちらかというと社会派ミステリに登場しそうな刑事が登場するシリーズの1作目。
・本格ミステリと社会派ミステリを融合させた傑作であり、島田の批判した社会派ミステリの美味しいところを取り込みつつ本格に仕上げた作品で、事件の数々は幻想文学としか思えないようなものを謎解きする。
当時の社会問題よりも日本の近代以降の歴史を踏まえた壮大なミステリ。道警の刑事が登場するが、『斜め屋敷の犯罪』にも登場した刑事と同じ人物で御手洗シリーズと世界観は同一である。
・いきなり読者を奇怪な世界へと連れ出すことを得意とする島田は、冒頭で不思議なピエロを登場させる。札沼線の列車にピエロが現れ、そのピエロは踊りながらトイレに入り、ピストルの音が鳴り響く。トイレのドアを開けるとピエロは死んでいた。乗客が驚いて車掌を呼び、再びトイレのドアを開けるとピエロはいなくなっていた。他にも、白い巨人が現れ巨人に連れ去られたといった幻想的なエピソードを出しながら物語は進んでいく。全然関係ないと思われたそれらのエピソードは実はつながったものであった。
・当時の社会状況は消費税が導入されたというものがあった。ある老人は消費税を払いたくなかったために、殺人を行った。刑事が名も知れぬ老人の身元を洗っていく過程で、日本の歴史の負の部分が浮かび上がってくる。
犯人=在日韓国人
・これらの幻想的なエピソードはかつて老人が獄中で書いた小説であったという設定だった。老人は冤罪で20年間服役していたが、身元を洗ううちに冤罪であることが発覚し、身元は在日韓国人であったと判明。捜査により犯人のプロフィールが徐々にわかってくる。老人は店の店主をナイフで刺すが、老人と店主は昔は知り合いでサーカス団の一員であったのだ。二人の過去が次々と明かされていく。老人は、戦時中に朝鮮半島から強制連行され、冤罪の罪を着せられていたという過去があった。
冤罪事件
モデル
小松川事件(1958)
在日韓国人
18歳 死刑
・在日への差別を背景にした冤罪事件だが、これにはモデルがあった。モデルとなった小松川事件は、当時18歳だった在日韓国人が女学生を殺した罪でつかまり、死刑となった。当時の殺人事件として、1人殺しただけで死刑になるのは異例中の異例であり、在日に対する差別の意識がそこにはあった。それを踏まえたうえでのミステリである。
老人の小説
=幻想小説
↓
謎解き
・老人は日本語がわからず、服役中に日本語を覚え小説を書いた。それを刑事が読み、これはもしかしたら事実ではないかと、推理する。
・昭和32年の路線図では札沼線と函館線が並行し、ある一か所で急接近する。そこで入れ替えが起こったという複雑なトラベルミステリ的な側面も備えている。なぜこんな事件を起こしたのかを納得させるところもこの作品の特徴である。
・島田が自分らしさを出すためにあえて社会派ミステリの要素を取り入れたよくできたミステリである。
・次回は綾辻を扱うと流れとしてはスッキリしたものになるが、年代的にみて80年代前史に活躍した東野圭吾について扱おうと思う。
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