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玉野五十鈴の”誉れ"とは?

 

【注意:この記事は米澤穂信著『儚い羊たちの祝宴』に収められている「玉野五十鈴の誉れ」という短編について未読の方を全く配慮していない内容です。ぜひこの短編を読んでからこちらをお読みください。】

 

この話は一見すると、ピンチになったお嬢様をその使用人が助けるといった主従愛に満ちたハートウォーミングな話に見えるかもしれません。しかし、そのような単純な解釈でいいのでしょうか? 何よりもあの米澤穂信がそんな単純な話を書くでしょうか? このような疑問を持ったため、この短編に対し二つの問いを発し、それについての考察を挙げます。

 

問「玉野五十鈴とはどのような人間だったのだろうか」

 

初めに、純香の父は五十鈴にこう言いました。

 

「義母はああいう人だから、君も苦労が多いと思う。だが、この家で本当の意味で純香の味方になってやれるのは君だけだ。どうか純香と、仲良くしてやってくれ」

 

これは五十鈴にしてみれば、「純香の味方になるように」との命令です。五十鈴と仲良くしたり、小説を勧めたりしたのはこの命令があったからです。

玉野五十鈴は最初にこう宣言します

 

「玉野五十鈴と申します。今日から、ご当家にお仕えすることとなりました。何卒、よろしくお願いいたします」

 

ここで大切なのは五十鈴は純香の祖母ではなく、小栗家に仕えると宣言したのです。ここで、小栗家のトップは誰か? 実質は純香の祖母ですが、形式上は純香の父です。ここで、純香が優先して受ける命令は純香の祖母か、父か? 話をよく読むと、それは後者。つまり、純香の父に従っていることが分かります。

つまり、五十鈴の中での順位としては

 

1.純香の父

2.純香の祖母

3.純香

 

の順です。しかし、純香の父による「純香の味方になって欲しい」という命令により、五十鈴の中での順位は

 

1.純香の父

2.純香

3.純香の祖母

 

となるのです。

そして、純香の父が放逐されたとき、純香の父は小栗家の人間ではなくなります。しかし、五十鈴は”小栗家”に仕える物です。もはや「純香の味方になって欲しい」という命令は効力を失うので

 

1.純香の祖母

2.純香

 

という順位に入れ替わります。もはや純香の父は小栗家の人間ではなくなりました。よって「純香の味方になって欲しい」という命令もここまでです。純香の祖母に命令が最優先にきます。では、純香の命令は受け付けなくなってしまったのか? そうではないでしょう。純香はまだ小栗家の人間です。よって、純香の祖母の命令と矛盾する命令でなければ受けつけると思われます。その証拠に純香が

 

「どうしたの、五十鈴。お祖母様は、ここにはいないわ。意地悪はやめて、こんな、怖いときに。いつもみたいに笑ってよ」

 

と言った際に

 

「それは、お言いつけですか?」

 

 と聞き返します。

 もしも、純香の命令を聞く気が無いのであればこのように聞き返したりはしないでしょう。

では、なぜ五十鈴は命令の最上位に来る純香の祖母を殺害したのか?

五十鈴が純香に毒酒を持ってきたシーンで、五十鈴はこういいます。

 

「……お嬢様に毒酒を渡すよう、私に命じられました」

 

 つまり、毒酒を持ってくるよう命じられたわけで、純香を毒殺するよう命じられたわけではありません。その後、

 

やつれはてたわたしの喉が、小さくうごめく。助けて、五十鈴。

(中略)

「はい」

 

 というシーンがあります。この「はい」という返事は、純香には幻に聞こえたようですがが、しっかりと発せられたものではないか。そして、「助けて」という命令は「毒酒を渡す」という命令とは矛盾しないので、五十鈴には実行可能なのです。そうして、五十鈴は小栗家のものの命令を忠実に実行した、と考えられます。

では、五十鈴とは形式的で冷淡な、それだけの存在なのでしょうか? そうとも言えません。

純香が監禁されてる際に、使用人に五十鈴の様子を尋ねたところ、その女中は

 

「……『初めちょろちょろ、中ぱっぱ』なんてよく言ってましたけど……」

 

 と発言しています。なぜ、五十鈴はこのセリフを”よく”言っていたのか? それは、純香への思いがあるからではないでしょうか?

 形式的で冷たい。でも、それだけではない。表にはあまり出ないけどちゃんと感情はある。いかにも米澤穂信らしいキャラではあると思いませんか?

 

 さて、先の解説で少し疑問に思った方もいるかもしれません。「いくら、助けてという命令が祖母の命令に反しないにせよ、小栗家のトップ。つまり、自分の仕えるべき人間を殺すのだろうか?」という疑問です。この疑問は、次の問いに引き継いでもらうことにしましょう。

 

問「玉野五十鈴の”誉れ”とは一体なんだったのか」

 

 タイトルにもなっている「玉野五十鈴の”誉れ”」。一体、彼女の誉れとは何だったのでしょうか? それについて考えてみました。

 良く聞く答えは純香を助けるというものですが、本当にそうなのでしょうか? 僕は今回他の可能性について考えてみました。すると、先ほどの問いで考えたこと和えとは全く別なことが見えてくるのです。

 

P1

 見落としがちですが、本短編内で以下のようなシーンがあります。

 純香が五十鈴に家のことについて尋ねると

 

「焼けました」

 

 との答え。

 

「ご家族は」

 

 という問いにも

 

「焼けました」

 

 との答え

 一体なぜ焼けたのでしょうか?

 確かに、五十鈴の雰囲気を作るために作者がそういう設定にした、と考えるのが一般的でしょう。しかし、このシーンにはただそれだけの意味しかないのでしょうか。

 この玉野五十鈴という少女、料理を除けば結構すごく有能な人です。

 

「五十鈴は身元の確かな子で、諸芸もひととおりわきまえています。あなたが連れ歩いても、恥をかかせることは無いでしょう(中略)」

およそお祖母さまが、外の人間を褒めることは無い。使用人を良く言うことなど考えられもしなかった。

 

 この五十鈴、使用人としてかなり申し分ない人です。純香の祖母は五十鈴を使用人としてかなり買っています。おそらく、非常に雇いたかったのでしょう。では、五十鈴を雇う際、断られたらどうでしょうか? 実の孫を毒殺することでさえ躊躇わない人です。五十鈴を迎え入れるためなら、家の一つや二つ燃やしても不思議ではありません。でしたら、五十鈴はかなり純香の祖母に恨みを持っているでしょう。

 

P2

 仮に五十鈴の誉れが純香を助けることであったのならば、なぜ太白まで殺す必要があったのか。これは、小栗家の当主に愛するものを殺された痛みを味あわせるため。という考えも出てきます。

 玉野五十鈴の”誉れ”とは一体なんだったのか? 彼女の本当の”誉れ”とは「小栗家党首への復讐」っだったのではないでしょうか。

 

P3

 純香が監禁されているときに使用人が以下のようなことを言います。

 

「……芋の皮むきから皿洗いまで、叱られずに出来ることは何一つ無いんですよ。いまじゃあ、お勝手のゴミを集めて焼くばかりがあの子の仕事ですよ……」

 

 ここにP1で引用した部分と矛盾があります。五十鈴は祖母にお目られるほどできた人でした。今までは料理以外祖母に目をつけられていた五十鈴が、どうしてそれほどまでに仕事が出来なくなったのでしょうか? 一つ考えられるのは”仕事が出来ないフリをしていた”ことです。仕事が出来なければおのずとゴミ捨て、つまり焼却炉を扱えるようになるのです。

 

P4

 先の問でも引用した以下のシーン

 

「……『初めちょろちょろ、中ぱっぱ』なんてよく言ってましたけど……」

 

 この言葉は純香への思いから出た言葉などではなく、こう思ってのことだったのではないでしょうか

 

 “「初めちょろちょろ、中ぱっぱ。赤子泣いても蓋とるな」か。なるほど、この方法を使えば小栗家当主には私と同じ境遇。すなわち、愛するものを焼死させられた苦しみを味あわせることができる”

 

 こう考えると、五十鈴のこの言葉はうってつけの復讐方法を見つけた喜びのあまり口から洩れてしまった言葉、と解釈できます。

 

P5

これはメタ的な話になるのですが、この短編の一番最初に

 

彼女は――。玉野五十鈴は、そんなわたしを助けたかったのだろうか

玉野五十鈴の誉れとは、何だったのだろう。

 

 もしも、彼女の”誉れ”が彼女を助けることだったとしたら、作者である米澤穂信は一番最初で種を明かしていたことになります。米澤穂信がそんな単純な話を書くでしょうか?

 

 仮に、この仮説が正しいとするならば、五十鈴は形式的、機械的な人間なんかではなく、非常に感情的な人間です。そして、純香には何一つとして思いを持っていない、ただ自分の復讐のためだけに生きてきた。そんな人物となるのです。

 

 最初の問と後の問。両方を考えると全く違う五十鈴の人物像が浮かび上がってきました。しかもどちらも米澤作品らしい人物像です。これも米澤作品の面白さなのです。

もちろん、これらの考えは私の想像であり、その他いろいろな五十鈴の人間像が考えられると思います。皆さんも、考えてみてはいかがでしょうか?

 

P.S.

 ちなみに、この作品に出てくる小栗家ですが、この由来は小栗判官です。毒殺された小栗判官は土葬にされたため屍が残っており、その体を熊野本宮湯に入れると七日で目が開き、十四日で耳が聞こえ、二十一日で口が利けるようになり、四十九日後には完全に蘇生した。人形浄瑠璃として『当流小栗判官』が有名ですが、一度死んだ者が生き返ったという話の構成から小栗という名を付けたそうです。本格ミステリ大賞を受賞したクイーン論としても名高い北村薫氏の名作『ニッポン硬貨の謎』にも登場しました。

 ミステリ読みとしては小栗虫太郎を連想したいですが、これとは関係ないようです。

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