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わたしとミステリ

9.鮎川哲也と十三の謎Ⅲ(北村薫と日常の謎)

北村薫

『空飛ぶ馬』(1989)

「日常の謎」派のルーツ

 

・この作品も1989年に書かれた作品で、1989年という年はミステリにとってはかなりの当たり年である。

・『空飛ぶ馬』は短編集である。北村のデビューにより、日常を舞台にしたミステリが書かれ、殺人事件が起こらなくてもミステリはかけるということを世に知らしめた代表的な作家である。この血みどろな惨劇が起こらない日常の中に潜む謎を扱ったミステリは「日常の謎」と呼ばれ、そのルーツが北村薫である。この流れをくむ作家は現代でも非常に数が多い。

・北村薫がミステリ界に与えた影響は先駆的なジャンルのルーツとなっただけでなく、多くの女性読者を獲得したことだろう。薫という名前が中性的なうえ、主人公は女子大生。そして、殺人がおこるということで敬遠していた女性読者を一気に引き込むことに北村は成功した。主人公の女子大生の描写がリアルなことから、北村薫を女性だと思っていた読者も多かった。

 

“円紫さんと私”シリーズ

私=女子大生、名前ナシ

 

・主人公の私には名前がない。これは女性読者が感情移入をしやすい設定になっている。また、作中でも私と読者がとても近い位置にあるようだと思わせる仕掛けも多く、北村の技量が伺える。また、円紫の過去はところどころ描かれるにもかかわらず、私の過去はほとんど描かれない。どんな読者でも「私」になりきることができるようにと、感情移入しやすい仕掛けは数多い。

・探偵役の円紫は落語家で「私」の大学の先輩。円紫の過去は時折描かれ、妻子がいるという描写も出てくる。円紫と私の二人は恋愛(不倫)を想像させるかのように描きつつ、あくまで中立的な関係として立ち回り、そこがかえって女性読者の心をつかむことにつながった。

・『空飛ぶ馬』には5編の短編が収められている。それぞれが独立した短編だが、その配列もかなり考えられたものになっている。

 

「織部の霊」

 

・殺人事件は描かれないものの、案外おどろおどろしい話である。

・第1話は探偵役の円紫は精神分析家という立場で描かれる。全体を通して、日常の中に含まれる人間の暗部を描いている。

・はじめは円紫と「私」との出会いが描かれる。「私」の大学の古典の先生のかつての教え子が円紫であった。その先生の不思議な夢を円紫が謎解き、すなわち夢分析をする。昔からミステリは精神分析的だといわれることが多いが、そういう意味ではとても王道な物語である。19世紀末にミステリが流行していたが、この時期はフロイトの精神分析学が確立した時と同じ時期である。

 

19世紀末

精神分析の歴史 フロイト

探偵小説の歴史 ドイル

 

・精神分析と探偵小説の歴史は重なるところが多い。しかもフロイトとドイルは生前に交流もあったという。人間の心の闇や無意識を読み解くところにミステリが存在すると考えれば、両者の歴史の合致は不自然ではない。

・「日常の謎」は一見どうでもいいような行為や仕草からその人の心理を読み解くという意味で精神分析学に非常に近い。

・「織部の霊」の場合、先生は古田織部という武将が切腹する夢を織部について全く知らない頃から見続けてきたという。それを円紫が幼少の頃の話を聞き、先生の精神分析を行う。

・先生はとても本好きで、厳格な父からは本は大切にしろと厳しく育てられた。

・その一方、先生の叔父は本をぞんざいに扱うタイプだった。叔父は羽振りがよく、骨董品を集めるのが趣味だったが、病気になり最後には家が傾いてしまう。

・昔、織部の武将の絵が古本市で出品されていたが、その絵の載った目録はスペースの関係から横になっていた。叔父はそれを買おうとし、その目録に折り目を付けていた。本を大切にするよう教育されてきた先生にとって本に折り目を付けることは恐ろしいことであり、さらにその折り目が切腹の印象と相まって記憶に残り、織部が切腹する夢を見ていた。

・他者のトラウマを暴き出すというえげつない話。殺人事件が起こんらないからと言ってさわやかな話では決してない。「日常の謎」というジャンルは他人の心理を暴くということが主眼に置かれるため、えげつない話になりやすい。

・彼のトラウマに共感できるか否かがこの作品を楽しめるかどうかわかれるポイントかもしれない。

 

「砂糖合戦」

 

・とある喫茶店で円紫と「私」はお茶をしていた。その喫茶店にある三人組の女性が入店し、彼女らがカップに砂糖を入れまくっていた。とにかくどこまでも砂糖を入れ続ける。

・着眼は法月の『密閉教室』の盲点と近い。実は大切なのは砂糖ではなく、砂糖瓶のほう。彼女らは砂糖瓶を空にしたかった。

・円紫は「私」に彼女を追うように指示する。そして、喫茶店に再び戻ってくるかもしれないと予言し、円紫は去る。

・円紫の言うと売り女は喫茶店に戻ってきた。円紫はその女性に一言二言言い、女性はそそくさと逃げていった。

・女は過去に喫茶店で働いていたが、解雇された。それに恨みを持った彼女は店の評判を落とそうとして砂糖を抜き取り、空いた容器に塩を入れようとしていた。人間の悪意を読み取るお話。

・この話は人間の無意識を扱ったお話ではなく、どういう意図でそういう行動をしたのかを読み解くタイプである。

 

「胡桃の中の鳥」

 

・「私」は女友達と旅行に行く。その先では円紫の地方公演が行われ、彼女らはともに舞台を見に行った。

・友人が駐車場に車を止め、戻ってきたときには車のシートカバーが何者かによって盗まれていた。

・彼女たちの止まった旅館には子連れの旅行客がいた。円紫は、その子供は母親に捨てられようとしており、母親は蒸発しようとしていたと推理。その母親の車は友人の車とそっくりで、子供に自分の車と内装を同じにして誤認させるため、シートカバーを盗み子供を置き去りにした。少女は自力で車から脱出し、それを円紫が発見した。

・どういう心理で子を捨てようとしていたのか母親の心理を推理する話で、人の悪意を暴くということはこれまでと変わらない。

 

「赤頭巾」

 

・これも女性の悪意が表れた不倫の話。

・「私」が歯医者へ行くと待合室で隣の席に座った饒舌な奥さんからある絵本作家とお茶をしていると、公園にいた少女が消えてしまった話を聞く。この作品において円紫は安楽椅子探偵であり、「私」の話に基づいて推理を行う。

・その絵本作家がどういう絵本を書いているのか調べると、その中に「赤頭巾」があった。赤頭巾にはペロー版やグリム版などあるが、その絵本作家の各赤頭巾は特殊で、お婆さんも猟師も出てこない不思議な絵本だった。なぜオオカミと赤頭巾しか登場しないのか? 円紫は絵本作家の心理を読み解いていく。

・その作家の書いた『赤頭巾』は男女関係の象徴であった。ペロー版の『赤頭巾』でも狼が赤ずきんをベットに誘うシーンが見受けられる。その絵本作家は不倫していたのではないかと円紫は推理していく。

・実は絵本作家は「私」に赤頭巾の話をしてくれた女性の夫と不倫をしていて、少女が公園にいるときは「奥さんがうちに来ている」という暗号であった。

 

「空飛ぶ馬」

 

・後味の悪い作品が4編続いた後、最後に癒されるという構成で、「空飛ぶ馬」はまさにほのぼのとしたミステリ。この作品の謎は幼稚園の木馬が焼失し、また戻ってきたというもの。

・これも一種の安楽椅子探偵もの。八百屋主人の彼女と「私」が出合い、そこから情報を得ていく。

・八百屋の主人の彼女は幼稚園のお遊戯会に参加するための八百屋の主人にサンタの帽子を贈った。しかし、その帽子はお遊戯会には間に合わなかった。彼女の思いやりを無にせず、ちゃんと防止がお遊戯会で使われたことを示すためにためにもう一度帽子をかぶって写真を取り直すために木馬を持ち帰っていたのだ。

・日常系のミステリは人の悪意を描いたものが多いが、この話は例外である。北村かおる以降も多くの作家が日常の謎を描いていく。以下、その代表的なシリーズを紹介する。

 

加納智子

駒子シリーズ

 

・『ななつのこ』などは非常に有名な日常の謎作品である。

 

米澤穂信

古典部シリーズ

 

・最近の作家も日常の謎を書く作家は多く、特に米澤穂信の<古典部>シリーズはよく読まれている。

 

三上延

ビブリア古書堂シリーズ

 

・三上延のこのシリーズも日常の謎の王道を行くスタイルである。

 

相沢沙呼

酉野初シリーズ

 

・マジシャンである高校生・酉野初を探偵役としたシリーズ

・「日常の謎」の傾向の一つとして女性を探偵としたものが多いということ。円紫シリーズでは探偵は女性ではないが、女性の「私」が非常に重要な役割を担っている。

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