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わたしと梓崎優

美しい雪の物語

 

――気づかれないからこそ効果を発揮するんだ――

 

Impression

・物語の登場人物は「少女」や「少年」や「叔父」といった記号的な人物で名前は与えられていない。これがただ雰囲気を作るために記号的に読んでいるのかと思ったら、実は最後に物語自体と結びけているというのが巧い。敢えてカタカナで書かれたフィニッシング・ストロークが巧みに効いています。

 

・日記がなぜ途中で書かれなくなったのか。最後に少女が出した答えがあまりにも単純すぎて、そこが本当に梓崎先生らしくて大好きです。

 

・作中に登場する詩は「海」「母」「フランス」といったキーワードからおそらく三好達治の詩だと推測できます。そして、そのタイトルが「郷愁」。まさにこの作品にぴったりなタイトルの詩を持ち出したなぁと感心させられます。フランス語で「海」はmer、「母」はmere。つなわち、「母(mere)」の中に「海(mer)」が内包されているというわけです。これは胎内にある海なのかと推測できます。日本語では「海」という漢字のつくりの部分に「母」という文字が含まれてます。これは、生命が海から誕生したことからであると推測できます。海は我々の母であり、海は母の中にある。もしかしたら、少女の通うエレメンタリー・スクールではこういった授業が行われていたのかもしれません。

ちなみに、詩の全文は以下。

 

蝶のような私の郷愁!

蝶はいくつか籬を越え、午後の街角に海を見る…。

私は壁に凭れる。隣の部屋で二時が打つ。

ー海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。

そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。

 

もう一つの詩は吉野弘の「虹の足」ですね。

 

 

Story

 

常夏の街に、初雪が降る。

 

・濃緑色の葉の茂る背丈の低いコーヒーの木には、春になると枝の先に手のひらに収まるほどの大きさで甘い香りを放つ白い花が咲く。しかし、その花は三日のうちに散ってしまい、ほんのひと時だけ木を包み、それはまるで初雪の名残のようであった。常夏の街に咲く可憐なコーヒーの花は、コナ・スノーと呼ばれた。

・七月上旬。ハワイ島の西岸沿いを少女とその叔父を乗せた車が南下していた。車の後部座席に座った少女が、車窓からの景色を見て花が咲いてないと不満げにつぶやくが、叔父は来年は父と一緒に見るといい、ハワイ島で一番美しい景色なのだと少女に告げる。

・ボストンから来た少女はハワイの生活の様子を車窓から眺め、平和で穏やかな街なのだと理解する。ガソリンスタンドで給油をする間、少女は小さな土産物屋に入った。

・土産物屋の中では少女と同じ十歳くらいの少年が一心不乱に手を動かしていた。何をしているのかと少女が尋ねると、少年は絵を描いていると答える。少年は紙袋に縦に長い「G」

の形状をした模様を描いていた。少年は釣り針の枝という。幸せは海にあり、釣り針は幸せをもたらす道具であるというのが昔からの言い伝えで、土産を買ってくれる客へのお守りだという。少女は、もっと釣り針らしく書けばいいと助言するが、少年は釣り針だと気づかれないからこそ効果がある、気づかれたらそれはただの願掛けに過ぎないと答えた。見えないからこそ、願いはかなう。客が気が付かないところで客を守るのがクールだと少年は断言した。

・帰ろうとする少女に少年は釣り針の描かれた紙袋を渡す。何も買ってはいないと紙袋を拒もうとする少女に、少年は今度はちゃんと土産を買いに来てくれと告げる。少女は紙袋を受け取ると、コーヒーの香の残る店を後にした。

 

母なる海

 

・叔父と少女を乗せた車は、叔父の営むコーヒー農園で停車し、農園の隣の白い家に入ると、義理の叔母に迎えられた。

・少女は夕食の時間までコーヒー農園を散策する。家屋から十分ほど進むと丘と呼べる盛り上がった場所があり、そこにはブランコが一台置かれていた。少女はそれをベンチ代わりにして景色に目を向け、ハワイ島沿岸の景観を眺めた。「海は、お母さんなのよ」エレメンタリー・スクールの先生の言葉が少女の胸を突く。リーディングの授業で、先生は日本の詩をホワイトボードに書き、日本語とフランス語で「海」と「母」の言葉についてうたった詩に解説を加えた後に言った言葉だ。

・少女は自問する。少女の母は日本人で、少女がまだ幼いころに病でこの世を去った。物心つく前に亡くなった母親に記憶は少女にはなく、少女が母について思うのは自分が黒髪であることを思う時だけだった。少女がハワイ島にやってきたのは、医師である父親の仕事の都合だった。けがをした人がいれば父親はどれほど遠い場所へでも出かけていき、その度に少女は親戚の家に預けられ、それが今回は叔父の家であった。

 

日記

 

・夕食を終え食器を洗った少女はドアの開いた、叔父が「物置」と呼ぶ部屋に深い理由もなく入ってみた。そこには大量のレコードやレコードプレーや、蓄音機、ギターケースなどが置かれていた。少女はレコード棚の片隅に置かれていた一度水にぬれて乾いた後のある日記を手に取った。

・日記は、軍隊に勤めていたがクリスマスを実家で過ごすために休暇を取り、故郷に戻ってきた人のものだった。日記の主はカメラが趣味で、あらかたのものを撮り終え、最後に撮りたいと思ったものがコナ・スノーだった。コーヒー農園については全く興味がなかったが、コナ・スノーだけは美しいと感じた。とてもきれいな光景が三日で散ることが残念で、初雪の美しさを保存しようとしていた。しかし、日記の主は、写真にはコナ・スノーの美しさを納めきることができず、ハワイ島の美しさは自分の腕では表現できないことに気が付く。

・11月20日。日記の主に幸運が訪れる。ここ数日、ジュークボックスと大量のレコードの置いてあるバーに訪れるのが日課になっており、『All or Nothing at All』をリクエストした。しかし、その日に彼の心を奪ったのは音楽ではなく、カウンターに座っていた一人の女性だった。彼女はこの曲を歌詞の意味は分からないが美しいと評し、男は自分と趣味の合う人を見つけて喜んだ。

・男は彼女に島を案内する約束をし、その後二人は『風と共に去りぬ』を見に行ったり、様々な場所へ出かけるようになる。彼女はオアフ島で暮らしており、カメラが趣味であった。そして、自然や芸術に対する表現として「美しい」という言葉が彼女の口癖だった。

・「この島で一番美しいものは何かしら」不意に彼女は男に尋ねた。あまりの選択肢の多さに口を濁す男に、彼女は「今度会う時までの、宿題ね」と告げたが、男にとってはその瞬間の彼女の笑顔が一番綺麗だった。

・11月25日。男は彼女をバーベキューに誘った。バーベキューには男の弟や近所の知り合いも招待し、男は自分がいない間にほかの人たちが少しずつ変わっているのを感じた。彼女はナプキンを手先で器用に折りたたみ、ナプキンを鳥の形に変えたりなどして子供たちを驚かせていた。それは彼女が小さいころに母親から教わった手遊びで、完成したものが全て真っ白になり故郷を思い起こさせる白い紙を使うのが好きだった。男は彼女の出身が雪国だと思い、そしてコナ・スノーのことを思った。

・11月29日の日記にはただ「大変な事態になってしまった。」とだけ記されていた。

・11月30日。男は彼女と初めて出会ったバーに二人で行った。その時にリクエスト曲は『Oh Johnny, Oh Johnny, Oh!』しばらくは二人は当り障りのない会話をしていたが、男は戦争に出向かなければならなくなったことを彼女に告げる。その日一番の沈黙を破ったのは、彼女の質問だった。「宿題は、終わった?」男はためらいなく答える「コナ・コーヒーの花だね」彼女は、それが見たいと言うが、男は首を振ってコナ・コーヒーの花が咲くのは春先の数日だけであることを告げる。「だから僕らは別れられないね」この島を案内するというのが男と彼女との約束であり、島で一番美しいものを紹介しないわけにはいかなかった。だから、二人は再開しなければいけなかった。独りよがりな男の言葉を彼女は静かに受け止めた。二人はコナ・コーヒーの花に再開を約して、いつも通りに過ごした。男は、今度会った時には自分のほうから宿題を出そうと思った。一生にかかわる、宿題を。

 

少女の思い

 

・翌日、少女は朝食後に散歩に出かける。少女の頭を占めているのは軍人らしい男の休暇中の日記だった。休暇で故郷のハワイ島に戻った男が女性に一目惚れし、別れを惜しみながら大陸へと帰っていく。男と女が再開できたのか、少女には分からなかった。日記のその先には何も書かれていなかった。親と離れることの多い少女には、日記の中の男と自分を重ね合わせる。「次に父親と会えるのは、いつなのだろうか。」少女は叔父夫婦に迷惑をかけないように、不安を顔に出さないよう努力していたが、一冊の日記が少女の我慢をくじいた。

・散歩を続けると、少女は釣り針の絵を描いてくれた少年のいた土産物屋にたどり着いた。昨日と同じく、客は少女のほかにはおらず、少年が座っていたカウンターには一人の老人がいた。老人は少女にコナ・コーヒーを勧める「苦いかい。その苦みを楽しめるようになったら、君も大人だな」

・老人は少年の書いた釣り針が呪いが降りかかりそうだから、別なお守りにしたらとアドバイスしたことを少女に話す。他のお守りについて尋ねると、老人はコナ・コーヒーの木、正確には花もお守りになるのだという。コナ・コーヒーの花の別名はコナ・スノーといい、それに込められた願いについて老人が説明しようとすると、少女が老人よりも先に答えを口にした「再開」

 

再開を約す花

 

・少女はコナ・スノーが再開を約す花だということを知っていった。幼いころ、寝物語としてコナ・スノーの話を聞いたことがあった。誰が話してくれたのかは定かではないが、少女にその花の意味はひっそりと刻まれた。だから少女はハワイ島に来るにあたって、何よりもまずコナ・スノーを欲した。父との再会を願うために。

 

老人の過去

 

・少女は土産物屋の老人に尋ねる「本当に、願いはかなう?」「コナ・スノーを一緒に見よう、そう約束したふたりは、必ず再開できる?」少女の真剣な眼差しに老人は押し黙る。少女は老人に日記の内容を説明する。少女の説明を聞いた後、老人は自分の妻が日本人であることを明かし、当時は日本とアメリカは戦争をしており、両親を説得するのに七年かかったことを少女に語る。そうして、老人は言う「わかった。では、わしが気付いたことを伝えよう。お嬢ちゃんが教えてくれた、六十四年前の日記について」

 

64年前の真実(以下ネタバレ)

 

・急に出てきた64年前という数字に少女は戸惑いを覚える。2004年の64年前は1940年。老人は少女に1940年に書かれたものであることを説明する。

・『風と共に去りぬ』が公開されたのは1939年。『All or Nothing at All』や『Oh Johnny, Oh Johnny, Oh!』がヒットしたのもそのころである。そしてハワイで暮らす日系人にとって1941年は決して忘れられない年、日本との戦争が始まった年だった。日記に出てくる女性は休暇でハワイ島に来ていたが普段はオアフ島に暮らしているというが、戦争は、オアフ島への攻撃で幕を開けた。民間人の被害は大きくはなかったが、ゼロでもなかった。真珠湾への攻撃を女はやり過ごすことができたのだろうか。そして最も恐れるべきは攻撃が終わった後のこと。果たして敵国の人間がその後を生き残ることができたのだろうか。

・老人は、日記に登場する女性は日本人で、ナプキンで鳥を作る遊びはオリガミという日本の伝統的な遊びであることを告げ、実際に折り鶴を作って少女に渡す。『All or Nothing at All』の歌詞の意味が分からなかったのは英語に不慣れだったからだろう。

・少女は戦争が終わった後に再開したのかもしれないと言うが老人は、日記が途絶えたのは書き手がいなくなったときか書きたくても書けなくなった時なのではないかと言う。男が戦争から戻らなければ日記は途絶えるし、無事に生還できたとしても再開の相手が戦争の犠牲になっていればそれを日記に記すことはできない。そういった後でこれは憶測に過ぎないと老人は微笑む。

・家族連れが土産物屋に入ってきくる。その父親の二の腕には奇妙なペイントが施されている。「ほら、お守りには効果があっただろ」いつの間にか店の中にいた少年が少女に声をかける。母親の腕にぶら下がっている紙袋には釣り針の絵が描かれていた。

・少年が少女の持つ折り鶴に興味を示した。少女は折り紙も釣り針と同じように再開のまじないになるのかと思ったが、彼女の作った折り鶴は別な子供が持って行ってしまったことを思い出す。結局、二人が再開したことを証明することはできないのだと少女は悟った。

・少女は少年に日記の内容と老人との会話を話すと、少年は老人の言葉を信じるなと少女を励ます。そして少年は二人は再開すると断言した。日記に記されてあると少年は言うが、少女はどこに書いてあるのかと問う。「コナ・スノーだよ。コナ・スノーに再開を託したんだろ」しかし、少女は少年の言葉を思い出す「気づいちゃったら、それはただの願掛けだろ」願掛けでは意味がないという少女に対して少年はあっさりと肯定する。しかし、日記の二人はコナ・スノーが再開を約束する花だとは知らないから大丈夫だという。

・女のほうはコナ・スノー自体を知らない。男はコーヒー農園に興味がなかったのだから、コナ・スノーについてのローカルな話を知ってる可能性は低い。そして決定的なのは男が女にコナ・スノーの写真を渡さなかったこと。もしもコナ・スノーが再開の象徴であることを知っていれば渡さない理由はない。そうしなかったのは単に花の意味を知らなかったからである。

・少女は再びエレメンタリー・スクールの教師の言葉を思い出す「海は、お母さんなのよ」学校で次に別な詩を扱った。バスから虹が見え、虹のたもとには誰かがいるはずだが、本人は虹のたもとにいることに気が付いていない。遠くから虹を見ている人だけが誰かが虹のたもとにいることを知っているという内容の詩である。少女は自分があこがれの虹の中にいることに気が付けないなんてなんて寂しいのだと感じたが、先生は幸せな人はそうだと自覚していなくても幸せに包まれていると説明した。少年の言うお守りとは虹と同じものであった。持ってる誰かはそのことには気が付いていないが、確かに誰かを守っている。「それなら、お守りは効果を発揮する。二人はきっと、再開してる」少年はそういい、少女は日記の続きがないのは単に水に落とした日記にはもうかけないのだということにした。

 

少女の父

 

・少女が日記の男女の再開にこだわったのは、自分の父親に会いたかったからであった。少女の父親はアフガニスタンに派遣されていた。耳慣れない国の名前は少女にはとても重たい何かのように響いた。コナ・コーヒーの花に父との再会を願いたかったが、それでは願掛けと同じで意味がないのだと気づく。

 

日記の続き

 

・少女の叔父は物置で古びた日記を手に取った。それは叔父の兄、少女の父親の日記であった。叔父は心の中でつぶやく「兄貴、早く帰って来いよ。そうしないと、兄貴と母親とのなれそめを、少女に全部話してしまうぞ。」

 

私の名は

 

・少年は少女に尋ねる「今更だけど、名前は?」少女は日本人みたいな自分の名を好きではないと話すが、少年は日本語の名前には意味が込められていると言う。少女はもし父と再会できたら自分の名前の由来を聞こうと心の中でつぶやいた。少女は、異国の響きのする名前を口にする「私の名前は、ミユキ」

 

~Fin~

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